清流苑「第二の橋」設置に向けて大きく前進【平成25年9月定例会 一般質問より】

下安松清流苑地区に「第二の橋」を新設することについて市の姿勢を質しました。

都県境にある下安松清流苑地区では、東京都によって行われている柳瀬川・空堀川合流工事によって周囲を完全に河川に囲まれてしまうことから、以前より地元自治会を中心とするの方々が所沢市と接続する二本目の橋の設置を要望してきました。

現状、所沢市との接続点は車1台がやっと通行することのできる新柳瀬橋のみであり、私も防災上の観点から「第二の橋」が必要と考え、市への要望書の作成や提出に関わるとともに、河川管理の所管が県であることから、当時、県議会議員であった藤本市長にもお願いし、県議会でこの件を採り上げていただいた経緯もあります。

質問では、平成23年度に行った新橋設置に関わる基礎調査の詳細や新橋の必要性に関する市の認識、今後の取組などについて採り上げました。

市長からは「清流苑地区には、私も県議時代から中村議員とともに足を運んできて、状況については十分承知している。市内に通じる橋は1本しかなく、住民の方々にとって第二の橋の設置は切実な願いであり、必要なものと考えている」との認識が示され、担当部長は「合流工事により変更される柳瀬川の計画水量が決定したことから、26年度以降、橋の位置や工法などを選定するための概略設計を実施していきたい」と答弁しました。

また、所沢市との唯一の接続点であるにもかかわらず、所有者が明らかでない新柳瀬橋の管理を市に求め、担当部長は「正式に市が管理する橋としていきたい」と明言しました。

なお、これから3月定例会で審議する予定である来年度当初予算案には「清流苑第二の橋築造事業」として概略設計費1,000万円が計上されています。

増加する行政回覧【平成25年9月定例会 一般質問より】

自治会の役員の方々からよく聞く市役所への苦情のひとつが行政回覧の問題です。「とにかく数が多い」「(回覧を)配ったばかりなのに、また(別の回覧の配布を)頼まれる」というものです。こうしたお声を受け、平成21年12月定例会でも同様の質問をしましたが、その後の検証を含めて今回もこの問題を採り上げました。

結論からいえば、地域に配布される行政回覧は依然として増加しており、21年当時、年間約350件であったものが、現在では約400件となっているようです。さらに、市役所が把握していない文書(地元の「学校だより」等)を含めると、これ以上の件数が地域に回覧されていることになります。

21年12月定例会における担当部長の答弁は「回覧文書が増えていることは認識している。広報と重複していないか等、各所管に回覧に適する文書かどうかの精査をお願いしていきたい」という主旨のものでしたが、状況はあまり変わっていないようです。

質問では、件数の縮減を図ることだけでなく、回覧の読み手や受け手の視点に立った改善を市に求めました。言うまでもなく、回覧は「配ったら終わり」というものではなく、読まれて初めて意味があるものだからです。

担当部長の答弁は「件数が多く、自治会のみなさんから負担が大きいとの意見をいただいている。縮減に向けて(市役所)内部でも様々な検討を行っており、自治連合会等の意見も参考にしながら、改善に努めていきたい」というものでした。

市役所が保有し、市民に知らせるべき情報は多岐にわたりますが、インターネットの発達等によりその提供方法も多岐にわたります。行政回覧についても情報を「どのように伝えるか」という観点からの適宜適切な改善が求められています。

「絆を紡ぐ」とは

引き続き、9月定例会で行った一般質問についてご報告したいと思います。今回は「市長のいう『絆』について」です。

この質問は市長の政治姿勢を質したものであると同時に、「絆」をキーワードに現下の社会情勢について私の思うところを市長に伝えたいという趣旨もありましたので、本会議で読んだ原稿のまま掲載したいと思います。

「絆」について

「自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である」。これはアリストテレスの著作『政治学』の一節です。

金八先生に「人」という字の書き方を教えてもらうまでもなく、人は人に支えられ、人と人とのつながり、すなわち「絆」のなかで生きています。

昨年3月11日に発生した東日本大震災は、有無を言わさず、私たちにこの「絆」の大切さを実感させたのです。

平成23年12月定例会、藤本市長はじめての議会でしたが、就任のごあいさつのなかで、こうおっしゃっていました。

以下、少し長いですが、会議録より引用させていただきます。

「次に、『紡ごう!絆』であります。戦後65年、戦争に対する反省からか、私たちは自由と個人主義を追求し、権利を主張することこそ正しい生き方だとずっと意識してきたのではないでしょうか。少し距離を置いて、自分を安全な位置に置きながら相手を批判し追及したり、自分こそ絶対正義だとごねる者が得をしたりする。地域には、子供をしかってくれるおじさんおばさんがいなくなり、教室には、おっかない、でもあったかいおやじ先生が姿を消してしまいました。人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人が皆ばらばらになってしまうのではないかと思うのです。でも、一体今の日本をこのまま子供たちに伝えてしまってよいのでしょうか」。

個人主義の追求や権利ばかりの主張、人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人がばらばらになり、絆が崩壊してしまっている。そういうこともあると思います。

しかし、今、絆の崩壊をもたらしているのは、こうしたことだけでなく、「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも一因がある気がしてなりません。市長とは少し世代が違うせいか、私にはこのほうがしっくりくるのです。

人並みの努力をしてきたつもりだけど正社員になれなかった若者、なかなか子どもができずに悩んでいる夫婦……。他の人と同じようにやってきたつもりなのに、どこか「報われていない」と思う人、「社会から見捨てられている」「運がなかったのかな」と考える人……。こうした人々が増えている気がします。孤独感だけでなく、無力感にも悩んでいる人が多いのではないかと思っています。

こうしたことが絆の崩壊の原因である気がしてなりません。

「絆を紡ぐ」。こうした人々に手を差し伸べること、助けようとする努力が「絆を紡ぐ」ことと私は考えるのですが、改めて市長のいう「絆」についてお伺いいたします。

答弁では、市長自らが被災地で目の当たりにした絆の大切さや、行き過ぎた個の追求と権利の主張がもたらした弊害(個人情報保護がつながろうとする善意の他者を排除してしまうことがある、権利としての消費者意識が「お客様なら何を言っても良い」という状況をつくりだしてしまっているなど)が語られ、私の指摘した「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも留意し、つながり、絆を実感できる幸せな社会づくりに努めていくというものでした。