神門善久『日本の食と農 危機の本質』

日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)神門善久『日本の食と農 危機の本質』(NTT出版、2006年)

筆者は、地方自治法100条の2(専門的知見の活用)に基づき、所沢の農業について調査してくださった神門善久・明治学院大学教授。

農家に育った筆者の農業への想いも込められた力強い文章からなる本書は「真実の暴露と未来への斬新な提言」(p.14)である。

筆者は、日本農業の問題点を「『売買・貸借を通じて農業生産に長けた者に農地が集まる』という市場経済の競争メカニズムが働いていないこと」(p.132)にあるとし、農家のもつ農地転用による収入増への期待と、これを密かに後押しする政治家、農水省、JA、そして、このことを指摘しない研究者と無関心な市民の構図が優良農地を減少させ、日本の農業を崩壊へと導いていると指摘する。

以下、辛辣な一言をいくつか。

「生産者との顔の見える関係とかいって宅配便を活用したような流通は、実は流通経費を高め、資源の浪費という環境破壊を招いている可能性がある。たとえば、『有機農産物の宅配が健康や環境に気を配る消費者に人気』という類の記事をみると、宅配にかける流通コストがどれほど石油を消費しているかについて『気を配らない』のが不思議である。」(p.21〜22)

「優良農地は、平坦、水利・日照がよく、区画がきれいで、道路にも近いということになる。これは、ショッピング・センター建設や宅地化などの好条件とぴったり符合する。優良農地を持っている農家ほど、転用で高く買ってもらえることへの期待が高まり、農地の有効利用よりもいかにして転用機会を引っ張り込みかに関心がいくことになる。これでは、農業の生産効率が上がるはずがない。」(p.131)

「実は行政がほんとうの大敵ではない。最大の敵は“お客さん”という立場に安住しようとし、責任分担を拒否する市民(農家・非農家を問わず)の甘え(およびそれに同調する研究者とマスコミ)である。」(p.210)

「日本は(というよりもJA、農水省、農経研究者)は、コメ輸入が懸案になるたびに、『食料安保』や国土保全などの「多面的効果」を持ち出して、反対してきた。しかし、それならばなぜ、地権者エゴによって優良農地が虫食い的に転用されているという実態に目を背けるのか? そもそも、食料自給率を上げれば安全が高まるというのは誤解である。戦前の日本は、台湾、朝鮮半島を含めた帝国内での食料自給を誇っていた。しかし、それが食料の安定供給を意味しなかったことは明らかである。あるいは北朝鮮は戦後一貫して食糧自給政策を取り続けてきたが、その顛末も惨憺たるものである。むしろ、食料の安定供給のために重要なのは、安定的で発展的な国際関係を構築することである。日本自体が高所得国であるが、コメ農家は都市住民よりも裕福である。その層の利益を守るためにタイからのコメ輸入を阻止するというのは、まさに先進国のエゴであり、国際関係の発展にも寄与しない。」(p.254)

「心身の健康(個人および社会の)ためには、食の安全・安心で政府を突き上げるよりも、自らの食生活をただす努力のほうが大切である。BSEや残留農薬で神経質なことをいっている消費者が、嗜好食品漬けになっているようでは話にならない。」(p.261)

私も実家が農家であり、私の親族を含めて農業関係者とお話をする機会は多いのだが、本書の指摘するところはきわめて的を射ていると実感する。

農業を取り巻く課題を克服するため、筆者は、「未来への斬新な提言」として、農家・非農家を問わない市民による徹底的な土地利用に関する論議の重要性や、社会保険料の食生活連動制の導入、独立系(非JA)農協の設立、農地転用の問題については、課税評価額の自己申告制や、土地の転用権入札制度を掲げる。

現実的にはなかなか難しいと感じるところも当然あるのだが、示唆に富み、農業政策を見つめるうえでは非常に考えさせられる一冊であった。

木田元『反哲学入門』

反哲学入門木田元『反哲学入門』(新潮社、2007年)

リラックスしたい時や頭のなかをリセットしたい時、よく読むのが哲学関係の本。というか、哲学関係の本を読むと頭がリラックス、リセットされるといった方が良いのかもしれない。

原書やその翻訳は読み辛く、なかなか手にすることはないのだが、この手の解説本(?)を読むことは結構多い。

著者はハイデガーやフッサールなどの研究者として有名。

プラトン以降ニーチェの登場までの「イデア」や「神」「理性」など超自然的原理を設定して「自然」を見る思考法を「哲学」とし、西欧文化独特の思考法だとする。

これらの思考法に対して、ソクラテス以前の思想家やニーチェ、ニーチェの思考法を部分的に受け継いでいるハイデガーやメルロ=ポンティなど、「自然」に包まれて生き、そのなかで考える「自然的思考」を「反哲学」と称する。

西欧文化の行き詰まりの原因を「超自然的原理」による考え方にあるとして、ソクラテス以前の思想を復権し、西欧文化の危機を打開しようとしたニーチェや、ナチスに近づきながら文化革命を企てたハイデガーに関する逸話などが収められている。

「いや、わたしにしても、こんなことに気がついたのは、ずいぶんたってからです。先生にしても先輩たちにしても、当然デカルトの言う程度の理性はもちあわせているし、プラトンの言うイデアも日ごろ見つけている、カントの「汝なすべし」という「定言命法」も聴いたことがあるという顔をしていますから、そんなもの見たことも聴いたこともないなんて、とても言い出せる雰囲気じゃなかったですね。しかし、そんなふうに普遍的で客観的妥当性をもった認識能力である理性なんて自分のうちにありそうもないし、ましてやイデアだの定言命法だの見たことも聴いたこともないので、うしろめたいことおびただしかったんですが。」(p.37)

79歳にして以上の告白をする筆者。

表紙の帯には「日本人はなぜ欧米人の哲学がわからないのか、その訳がようやくわかった!」と書かれているが、普段の日常とはあまり関係がない(もしかしたら、ものすごく関係があるのかもしれない)、わからないことをぼんやりと考えることがリラックス、リセットにつながっているのかもしれない。

長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』

これが憲法だ!長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』(朝日新書、2006年)

憲法学者の長谷部恭男氏と政治学者の杉田敦が対談形式で憲法を論じます。

話題は、9条の問題はもちろんのこと、日米安保と憲法の関係や、解釈の問題、いま憲法を変えることについてなど多岐にわたりますが、いわゆる改憲・護憲論などとは一線を画し、憲法を理念・原理的語っています。

ポイントのひとつは、長谷部氏のいう「立憲主義」。「憲法をつくることによって、政治権力を縛るのが立憲主義である」という従来の考え方ではなく、「公と私を分け、多様な価値観を共存させる手立て」が立憲主義であるとしています。

読みはじめはこのような長谷部氏の考え方に少し違和感を感じていたのですが、終盤はお二人の対談に引き込まれ、「なるほど〜」と感じてばかりいました。

ちなみに、お二人の考えが一致した点は次の通り。
・憲法を書かれたテキストそのもの(条文)に限定して考えるのは生産的ではない。
・憲法が必要なのは、多様な考え方をする人びとの共存のため。
・現在のところ、憲法を変えなければならない理由はみあたらない。

久しぶりに憲法関係の本を読みましたが、憲法を考える上ではもちろん、知的好奇心も満たす本当に面白い本でした。

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