引き続き、9月定例会で行った一般質問についてご報告したいと思います。今回は「市長のいう『絆』について」です。
この質問は市長の政治姿勢を質したものであると同時に、「絆」をキーワードに現下の社会情勢について私の思うところを市長に伝えたいという趣旨もありましたので、本会議で読んだ原稿のまま掲載したいと思います。
「絆」について
「自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である」。これはアリストテレスの著作『政治学』の一節です。
金八先生に「人」という字の書き方を教えてもらうまでもなく、人は人に支えられ、人と人とのつながり、すなわち「絆」のなかで生きています。
昨年3月11日に発生した東日本大震災は、有無を言わさず、私たちにこの「絆」の大切さを実感させたのです。
平成23年12月定例会、藤本市長はじめての議会でしたが、就任のごあいさつのなかで、こうおっしゃっていました。
以下、少し長いですが、会議録より引用させていただきます。
「次に、『紡ごう!絆』であります。戦後65年、戦争に対する反省からか、私たちは自由と個人主義を追求し、権利を主張することこそ正しい生き方だとずっと意識してきたのではないでしょうか。少し距離を置いて、自分を安全な位置に置きながら相手を批判し追及したり、自分こそ絶対正義だとごねる者が得をしたりする。地域には、子供をしかってくれるおじさんおばさんがいなくなり、教室には、おっかない、でもあったかいおやじ先生が姿を消してしまいました。人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人が皆ばらばらになってしまうのではないかと思うのです。でも、一体今の日本をこのまま子供たちに伝えてしまってよいのでしょうか」。
個人主義の追求や権利ばかりの主張、人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人がばらばらになり、絆が崩壊してしまっている。そういうこともあると思います。
しかし、今、絆の崩壊をもたらしているのは、こうしたことだけでなく、「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも一因がある気がしてなりません。市長とは少し世代が違うせいか、私にはこのほうがしっくりくるのです。
人並みの努力をしてきたつもりだけど正社員になれなかった若者、なかなか子どもができずに悩んでいる夫婦……。他の人と同じようにやってきたつもりなのに、どこか「報われていない」と思う人、「社会から見捨てられている」「運がなかったのかな」と考える人……。こうした人々が増えている気がします。孤独感だけでなく、無力感にも悩んでいる人が多いのではないかと思っています。
こうしたことが絆の崩壊の原因である気がしてなりません。
「絆を紡ぐ」。こうした人々に手を差し伸べること、助けようとする努力が「絆を紡ぐ」ことと私は考えるのですが、改めて市長のいう「絆」についてお伺いいたします。
答弁では、市長自らが被災地で目の当たりにした絆の大切さや、行き過ぎた個の追求と権利の主張がもたらした弊害(個人情報保護がつながろうとする善意の他者を排除してしまうことがある、権利としての消費者意識が「お客様なら何を言っても良い」という状況をつくりだしてしまっているなど)が語られ、私の指摘した「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも留意し、つながり、絆を実感できる幸せな社会づくりに努めていくというものでした。