平成27年所沢市議会議員一般選挙を終えて(雑感)

  • 【感謝】まずもって期間中の活動にご協力をいただいた方々、12年間お支えをいただいた皆様に改めて感謝申し上げたい。
  • 【得票数】個人の得票としては、当選順位は下がった(7位から13位)ものの、約300票ほど票を伸ばす(3,084票から3,340票)ことができた。結果としてよく健闘できたと考える。
  • 【投票率】全国的な傾向とはいえ、投票率は前回の41.26%から下回り、39.76%となった。4回の選挙を経験したが、良い意味でも悪い意味でも今回ほど「票が動いている」実感のない選挙は初めてだった。投票できる年齢が20歳から18歳に引き下げられたことも踏まえ、今後、市民がどう政治に関わっていくべきか、どう投票率を上げるのかについては、個人としても政治・選挙全般のあり方としても大きな課題を残したと考える。何らかの対応が必要だ。
  • 【政党化】市議会議員選挙にも政党化の流れが進んできた。固い組織をもつ公明党や共産党は別としても、政党の公認・推薦を受ける候補者が増加傾向にある印象だ。国とは異なる観点から地域の抱える課題を解決しなければならない地方政治において、このこと自体を歓迎すべきものとは考えないが、実際の選挙を戦わなくてはならない立場からからすると、考慮しなくてはならない問題でもある。政党に所属していないと「選択肢から外される」印象もあった。なお、数少ない純粋無所属候補としてはトップ当選を飾ることができた。
  • 【エアコン問題】選挙戦直前、いわゆる「エアコン問題」について、市長から、騒音が著しいとされる狭山ケ丘中学校と北中小学校にクーラーを設置するとの発表があり、この問題が著しく争点化されることはなかった。選挙戦直前まで市内の政治課題としてはこの問題一色という印象であったため、何となく「ぼやけた」選挙になってしまった。「エアコン問題」以外にも政治課題はたくさんあるにも関わらず、他について個人として争点化できなかったことは反省すべき点である。
  • 【期日前投票所】所沢駅東口にあった第2市民ギャラリーの売却にともない、期日前投票所の1つが西武車両工場跡地に変更された。これが投票率にどれだけの影響があったのかは不明だが、期日前投票所についてはもう少しあっても良いと考える。他自治体の状況等を参考にしながら、設置数や設置場所について検討すべきだ。
  • 【候補者】今回、定数33に対して40人が立候補したが、現職・元職・新人の区別を適用した場合の新人候補は7人。このうち、今まで一度も市議会議員選挙に出ていない人は5人。かつ5人のうち1人は元職員であり、今まで市議会・市役所と直接関わりがなかったと考えられる人は4人。投票率の低さも問題だが、候補者の少なさも問題と考える。良い意味では、議会報告会の開催をはじめとする議会改革の進展により市議会への参入障壁が高まったとも考えられるが、実際には、市議会議員という「仕事」が魅力的ではなくなったということだろうか……。昨今の地方議会(議員)に対する不信感や議員年金制度の廃止なども候補者減少の一因と考えられる。
  • 【インターネット選挙】インターネットを用いた選挙運動が解禁されたが、上手く使いこなすことができなかった。他の候補者の使用状況をつぶさに見たわけではないが、多くの候補者が街頭演説の告知やイメージとして活動状況を伝えるものに留まっていた。本来なら、有権者に政策をより深く理解してもらうためのツールとならなくてはならないはずだが……。政党丸抱えの国会議員選挙やスタッフの多い首長選挙ならともかく、ほとんどの段取りを本人がやらなくてはならない市議会議員選挙では、インターネット選挙に対応する事前準備も欠かせない。
  • 【公約】今回の選挙に際しては、今まで議会で発言してきた事柄に加え、「ワンランク上の住環境の整備」を公約に掲げさせていただいた。公約としては多少インパクトに欠けるかもしれないが、本市の魅力は首都圏にありながらも落ち着いた住環境にあると改めて感じている。実際に住んでいる方々のご意見を大切にして、小さなことから少しずつでも取り組んでいきたい。

エアコン設置の是非を問う住民投票を終えて(雑感)

  • 投票率と投票結果については実感とほぼ変わらず。低投票率とはいえ、30%を超えたことは良かったと思う。投票率は過去2回の市長選挙とほぼ変わらず。直近の県知事選より高い。
  • 住民投票条例には「市長および市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない。この場合において、投票した者の賛否いずれか過半数の結果が投票資格者総数の3分の1以上に達したときは、その結果の重みを斟酌しなければならない。(11条)」とある。報道等で指摘されている「1/3」が成立要件でないことは本会議で確認済み。前段部分は請求者原案と同じであり、当然、市長および市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない。後半部分については、市民の投票行動にインセンティブを与えるため、地方自治法の解職請求制度の署名数を根拠とし、先行事例等をふまえて、原案に付け加えたもの(※)。決して「市長と住民双方にいい顔」をしようとしたわけではない。ただし、市民にはわかりにくかったように思う。もともと議会内には成立要件について様々な意見があったが、できる限り合意形成を図ろうと議論を尽くした結果である。「市長と住民双方にいい顔」をしたかったのは匿名を条件に取材に応じた議員ではないだろうか。

※ 小平市都道328号線の計画見直しの是非を問う住民投票に関わった國分功一郎氏(哲学者)は、50%成立要件を投票ボイコット運動を誘発するものとして問題視するとともに、一方の選択肢が総有権者数の1/3を超えた場合、その結果を尊重すると規定する我孫子市市民投票条例を評価している。詳しくは、國分功一郎『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎、2013年)を参照。

  • 投票対象を含む関連情報の周知については、今後、議会において検証すべき点が多いと感じる。市民からも「よくわからない」というご意見を多くいただいた。賛成・反対双方の側から様々な情報が提供されたが、冷房設置にかかる費用や教室内の温度等、一定の条件もとで客観的数値で示すことができるデータについては、双方が「すり合わせた」うえで提示できなかったのかとも思う。もっとも「すり合わせ」のできる環境であれば、そもそも住民投票は行われなかったとも考えられるので、何とも言いようはないが……。投票までの期間についても、請求者原案が「30日以内」であったものを議会で「60日以内」と修正した。主に事務手続き上の理由から修正を行ったが、市民の熟慮期間を考慮するならば、もう少し期間が長くても良かったかもしれない。
  • そうはいっても、反対派の冷房設置費用「78億円」は、実感として、市民に大きな誤解を与えたと考える。反対派のチラシも数種類あり、なかには「冷暖房工事の試算」と注釈が書かれたものもあったが、多くの方々が冷房設置費用が「78億円」と考えていたようだ。前回のエントリーにも書いたが、この点については総務常任委員会での指摘があったにも関わらず、市の広報紙も含め、「判りにくい」表現となったことは非常に残念だ。
  • 市長も議員も条例案を議会に提案でき、議決されれば、市民を拘束する条例をつくることができる立場だ。住民投票条例に罰則はないが、第7条には「(1)市長は、住民投票の適正な執行を確保するため、市民が適切な情報に基づいて判断できるよう必要な情報提供を行うものとする。(2)市長は、前項に規定する情報の提供に当たっては、中立性の保持に留意しなければならない。」とある。市長は市内各種団体の新年会や街頭で大々的な選挙運動をしていたようだが、今後、この条文との整合性をどのように説明するだろうか。また、議会はどう考えるだろうか。
  • 「迷惑施設の建設や大規模開発、基地問題等で住民投票を行うなら理解できるが、小中学校への冷房設置ごとき問題でなぜ住民投票を行うのか?」というご指摘も多くいただいた。この指摘に関連し、3つのことを考えた。

ひとつは、冷房の設置について市長と議会の見解が分かれていることが伝わっていなかったということだ。「冷房の設置ごとき問題」を議会が決められず、住民投票に委ねたと理解されている場合だ。こう理解されていた方は「今時、学校に冷房ぐらい設置するのは当たり前なのに、議会は何をやってるんだ」と考えている場合が多かった。議会としては以前から冷房の設置工事を中止した市長に対して再考を促す主旨の決議等を議決していたが、この辺りのことがあまり伝わっていなかったし、市議会だより等を通じて住民投票に至るまでの経過を周知したが、まだまだ説明責任を果たしたとまでは言えなかったのではないだろうか。

二つめは、住民投票という制度を、いわゆる迷惑施設の設置を決めた国(場合によっては都道府県)に対して地元の意見を表明する機会と理解されていた場合だ。「国策」の是非を問う住民投票は確かに多い。しかし、全国のどこかには必要であるにも関わらず、地元に迷惑がかかる可能性のある施設の設置の是非については、安易に住民投票に付すべきではない。各地で投票が行われれば、各地で設置反対の結論になる可能性が高く、「どこかに必要な施設であるにも関わらず、どこにも設置できなくなってしまう」からだ。こうした問題については、首長・議会が自らの責任において判断すべきと思う。

三つめは、東日本大震災以降の日本の民主主義についてだ。反原発を掲げる国民が国会を取り囲んでデモを行った(行っている)ことは記憶に新しいが、震災後(市長もよく言われる「災後」)の日本は直接民主主義の流れが強くなっているといわれる。SNSの発達なども影響しているだろう。国の制度とは異なり、現行の地方自治制度にはいくつかの直接民主主義制度が予め備えられている。間接民主主義が基本なのかもしれないが、これらを上手く活用して自治体運営を行っていかなければならないと思う。議会改革にもつなげていかなければならない。

  • 報道によれば、市長は住民投票の結果を「重く受け止める」としながらも、冷房設置の判断を先送りしたようだ。投票結果の分析や財政上の課題等もあるだろうから、この姿勢には一定の理解を示すが、条文の通り「市長および市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない」のであり、原則として「冷房を設置する方向」で今後の議論が行われる必要があると考える。23日から新年度予算を審査する3月定例会が始まる。今回の住民投票で冷房設置の是非は市の財政上の問題として語られた印象が強い。となると、冷房設置に対する市の財政上の方針が見えない限り(冷房設置に関する財源が確保されない限り)、新年度予算をそのまま議会が通すことは難しくなるのではないだろうか。とりわけ、財政難を理由に冷房設置を見送るべきと主張した議員はそのように考えているのではないだろうか(考えなければいけないのではないだろうか)。

「絆を紡ぐ」とは

引き続き、9月定例会で行った一般質問についてご報告したいと思います。今回は「市長のいう『絆』について」です。

この質問は市長の政治姿勢を質したものであると同時に、「絆」をキーワードに現下の社会情勢について私の思うところを市長に伝えたいという趣旨もありましたので、本会議で読んだ原稿のまま掲載したいと思います。

「絆」について

「自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である」。これはアリストテレスの著作『政治学』の一節です。

金八先生に「人」という字の書き方を教えてもらうまでもなく、人は人に支えられ、人と人とのつながり、すなわち「絆」のなかで生きています。

昨年3月11日に発生した東日本大震災は、有無を言わさず、私たちにこの「絆」の大切さを実感させたのです。

平成23年12月定例会、藤本市長はじめての議会でしたが、就任のごあいさつのなかで、こうおっしゃっていました。

以下、少し長いですが、会議録より引用させていただきます。

「次に、『紡ごう!絆』であります。戦後65年、戦争に対する反省からか、私たちは自由と個人主義を追求し、権利を主張することこそ正しい生き方だとずっと意識してきたのではないでしょうか。少し距離を置いて、自分を安全な位置に置きながら相手を批判し追及したり、自分こそ絶対正義だとごねる者が得をしたりする。地域には、子供をしかってくれるおじさんおばさんがいなくなり、教室には、おっかない、でもあったかいおやじ先生が姿を消してしまいました。人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人が皆ばらばらになってしまうのではないかと思うのです。でも、一体今の日本をこのまま子供たちに伝えてしまってよいのでしょうか」。

個人主義の追求や権利ばかりの主張、人を批判してなんぼの風潮の中で、いつの間にか人がばらばらになり、絆が崩壊してしまっている。そういうこともあると思います。

しかし、今、絆の崩壊をもたらしているのは、こうしたことだけでなく、「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも一因がある気がしてなりません。市長とは少し世代が違うせいか、私にはこのほうがしっくりくるのです。

人並みの努力をしてきたつもりだけど正社員になれなかった若者、なかなか子どもができずに悩んでいる夫婦……。他の人と同じようにやってきたつもりなのに、どこか「報われていない」と思う人、「社会から見捨てられている」「運がなかったのかな」と考える人……。こうした人々が増えている気がします。孤独感だけでなく、無力感にも悩んでいる人が多いのではないかと思っています。

こうしたことが絆の崩壊の原因である気がしてなりません。

「絆を紡ぐ」。こうした人々に手を差し伸べること、助けようとする努力が「絆を紡ぐ」ことと私は考えるのですが、改めて市長のいう「絆」についてお伺いいたします。

答弁では、市長自らが被災地で目の当たりにした絆の大切さや、行き過ぎた個の追求と権利の主張がもたらした弊害(個人情報保護がつながろうとする善意の他者を排除してしまうことがある、権利としての消費者意識が「お客様なら何を言っても良い」という状況をつくりだしてしまっているなど)が語られ、私の指摘した「経済的格差を含む不条理な格差の拡大」にも留意し、つながり、絆を実感できる幸せな社会づくりに努めていくというものでした。