市道1-715号線(通称:馬坂)の拡幅工事は来年3月に完成【12月定例会一般質問】

市道1-715号線(通称:馬坂)の拡幅は、初当選時より解決に努力してきた地元懸案事項の一つだ。工事完成間近であり、今回は「締め括り」の意味を込めて質問にとり上げた。以下、質問概要をご覧いただきたい。


拡幅工事中の馬坂中村とおる:市道1-715号線(通称:馬坂)の拡幅は、長年に渡る地元の懸案事項であり、都市計画道路東京狭山線下安松工区の整備と併せ、初当選した今から18年前、平成15年から機会あるごとに本会議・委員会において質疑・質問にとりあげ、職員の皆さんと議論を重ねてきた。本会議録を検索したところでは、計8回、(高橋晴夫道路公園部長、中隆道路公園部長、神田博道路公園部長、沖本稔建設部長、高橋巳喜次建設部長、溝井久男建設部長、嶋村照明建設部長の)7名の部長に答弁をいただいた。

平成9年に地元自治会より拡幅要望が提出され、関係者との協議を経て、平成23年度より用地買収が始まり、昨年度より本格的な拡幅工事が行われている。先月24日からは全面通行止となり、今年度をもって工事が終了すると伺っているが、工事概要や完成時期(いつから使えるのか)等について改めてご説明いただきたい。

肥沼建設部長:令和4年3月に完成予定。高低差に対応する大型の擁壁を整備するために既存の道路を削らなければならず、全面通行止となった。今回の工事が完成すると、全線において拡幅工事が完成することになる。

中村とおる:先月、当該路線の工事開始を知らせる看板を実際にみたときには、感慨深いものがあった。かつて、拡幅がなかなか進まないことに対してお叱りをいただいたこともあったし、逆に、拡幅に反対の方が我が家に来られ、滔々と持論を展開していかれたこともあった。私が小さいころ、馬坂は舗装もされていない砂利道で、雨の降った後など、空荷のトラックが後輪を空回りさせて立ち往生することもよくあった。鬱蒼とした斜面林を曲がりながら通る見通しが悪い道なので、小さな事故や運転手同士による小競り合いも絶えなかった。毎年のように下半身を露出した不審者が現れた時期もあって、「夜、女性がひとりで歩けない」と言われたこともあった。

一方、子ども心には、木々がつくり出す緑のトンネルと、その周囲にあった地元の講が管理する三峰山と榛名山の小さな社が自然の神秘を感じさせ、通るたびに「その先には違う世界があるのではないか」と思わせる不思議な道でもあった。

余計な話をさせていただいたが、私が議員となってからは、同路線について何かことが起こると、関係職員の皆さんは、現場に赴き、地元にも私にも真剣・丁寧に対応して下さった。工事のお知らせ看板を見て、改めて「行政は、時間はかかるが、言ったことは必ずやり遂げる」ということを実感した次第だ。

唯一の心残りは、私が議員になる以前、同路線拡幅のためにご尽力された諸星義助元議員と、長年にわたり下安松町内会の会長を務められ、拡幅用地唯一の実質的地権者であった中村博氏さんに整備されたきれいな馬坂を自らの足で歩いていただくことが叶わなかったことだ。

質問に入るが、馬坂を下るとグリーンヒルという静かな住宅街がある。整備が完了すれば、当然、ここに今よりも多くの車両が流入することになる。そのため、平成21年12月定例会の部長答弁通り、坂の整備と併せ、グリーンヒル中央通りに安全対策を講ずることになっていたと思うが、この経緯と今後について伺う。

肥沼建設部長:平成18年に地元自治会より要望書をいただいているが、それから10年以上経過していることもあり、庁内関係部署と調整し、あらためて地域の皆さまと協議を進めていく。


基地対策協議会(10月27日)

10月27日、基地対策協議会に出席した。同協議会は1968年に発足。市内各界からの代表者及び市・市議会の代表者から構成され、基地返還運動の中心的役割を担っている歴史ある組織だ。市議会からは代表として議員6人が出席しており、本年6月、久しぶりに同協議会の委員となった。おそらく、10年前、議長在任時以来の委員就任だと思う(議長は同協議会の参与となるため)。

基地返還は昨年供用開始された東西連絡道路をはじめ、第4次までが実現している。もちろん全面返還が最終目的だが、現在、以下の事項(場所)について、とくに返還の要請を行っているようだ。

  • 所沢通信基地における土砂たい積場所を含む未利用地の返還
  • 文教通り線拡幅用地の返還(S51~)
  • 日米共同スポーツ広場用地の解放(S54~)

詳細は、所沢市「米軍所沢通信基地について」をご覧いただきたいが、文教通り線拡幅用地の返還と日米共同スポーツ広場用地の解放については当時の時代状況をもとにつくられた要望であり、個人的には現状からの精査が必要と考える。

当日の会議では、新型コロナウイルス感染拡大の影響により委員交代後初めての対面による開催となったこともあり、様々な意見が出された。協議会の活動には、

  • 北関東防衛局をはじめ関係各署に返還要望を行う
  • 基地の存在と返還運動の啓発
  • 基地の現状(動き)の確認

等があると思うが、上述の理由から議論としてはごちゃごちゃになっている印象を受けた。致し方ないとは思うが。

私からは、闇雲に返還運動を行うのではなく、まずは、東西連絡道路用地が返還された経緯(国の状況、返還運動の詳細等)をしっかり検証し、今後の運動方針を定めるべきと発言させていただいた。

あらためて協議会の委員となり感じた課題は、以下のようなことだ。

  • 返還運動には長い歴史と伝統があるだけに、大きなきっかけ無しに、返還要望を変更することが難しい
  • 協議会単体として、返還要望はできるが、返還に係るまちづくり(たとえば、返還された用地をどう活用するのか等)を議論しずらい
  • 実際に返還が実現した場合、その利用には多額の予算が必要となるが、協議会として予算に関わることが難しい(そもそもの財政難もある)

といったところだろうか。

じつは、こうした課題を解決するために市及び市議会から選出されている委員の果たす役割は非常に大きい。なぜなら、市全体のまちづくりと予算にも関わることができるからだ。こうしたことを考え、委員として発言していくつもりだ。

東所沢和田2丁目交差点への右折信号設置について

東所沢和田2丁目交差点の所沢市街から浦和方面に抜ける所沢青梅線部分には、右折レーンはあるものの、右折信号が設置されていないため、利用者より「直進車を待っていると、右折できない」「右折レーンがあるのに、なぜ右折信号がないのか」といった声がたびたび寄せられます。

質問では、同交差点における右折信号設置について市の見解を求めました。

市民部長の答弁は「信号機を管理している所沢警察署に確認したが、現状の信号表示のもとで、右折レーン上で滞留する車は多く認められないため、設置については見送るとの判断だった。市としても全体の交通量を勘案して判断したい」とのことでした。

この答弁を受けて、中村とおるは「滞留する車が少ないのは、右折信号が無く、交差点が使いづらいのが原因であり、車の多くは交差点を迂回するために、安松中学校西側の道を通っている。原因と結果が逆であり、地元や交差点利用者の意見を聞いていただきたい」と発言しました。