「地方分権」の意味

2000年に地方分権推進一括法が制定され、昨年は「三位一体」の改革が話題となるなど、「地方分権」ということばが世間に認知されてからかなりの時が経ちました。

今や政治・行政に関わるほとんどの人が「地方分権は必要だ、推進していかなくてはならない」と考えています。

私ももちろんそう思います。

でも、日本は今まで本当に中央集権の国だったのでしょうか?

よく考えると実はそうではないのかもしれません。

補助金、地方交付税など、国から地方への財政移転制度に問題がないわけではありませんが、今でも国と地方の財政支出割合は3:7であり、税金全体の約7割が何らかの形で地方自治体を通って支出されています。

また、条例制定権が及ばなかった機関委任事務も廃止され、法令の範囲内であれば、自治体はとりあえず何でも自由に決められるようになりました。

憲法92条には、住民自治と団体自治を意味する「地方自治の本旨」ということばが明記されています。地方自治の母国とされるイギリスにさえ、もともと憲法がないということもあって、憲法上に地方自治の根拠があるわけではありません。事実、時の政権の意向によって、イギリスの地方自治制度は度々変化しています。

70年代には、なかなか動こうとしない国を尻目に、革新自治体が公害問題を次々に解決していきました。現在でも乳幼児の医療費助成など、国に先立って地方が積極的に取り組んでいるものもあります。

……以上のようなことを頭に浮かべると、「日本は結構な分権社会なのではないか」と思ってしまいますし、逆に、多くの人が口にする「地方分権」とは何を意味するのかよく判らなくなります。

「制度の分権」なのでしょうか? 「財源を地方に」ということなのでしょうか? その両方なのでしょうか?

各論をいえば、まだまだ分権しなくてはならないところがたくさんあります。しかし、もっと大切なことは「地方分権」を口にする人の「意識」の問題ではないかと思うのです。

役所は補助金をひっぱってくることばかり考えてはいないでしょうか? 議会は、国・県の意向とは別に、自らの主体的な判断を下しているでしょうか? 私を含め、まだまだ疑問の残るところです。

もちろん現段階で、交付税や補助金を全く当てにしない地方政治・行政は考えられません。しかし、これら既存の意識を超えてこそ、真の分権社会が成立するのだろうと思っています。きれいごとなのかもしれませんが。

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